新・アトピー犬ポン太の逆さまつげ日記。

アトピー犬と暮らす日々。最近は歌舞伎・文楽と演劇の話題が増殖中。

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オチャメな新劇   「ネジと紙幣」 天王洲 銀河劇場

連休3日目。天王洲アイルに「ネジと紙幣」を見に行く。森山未來×ともさかりえ、演出倉持裕。

ネタバレあり

副題に「based on 女殺油地獄」とあるわけですよ。でもって、キャッチが「なぜ男は女を殺さなくてはならなかったのか?」というのですよ。
近松の原作には書かれていないその答えを、作者は提示しようとした。そのための補助線を引いた。ひとつは「貧乏」(それを強調するように、舞台セットは昭和30年代の大田区あたりにありそうな汚い町工場だ)。もうひとつは行人(=与兵衛)の母が桃子(=お吉)に言う、「犯されたの?」というセリフ。三つめは、殺しの場面で桃子が逃げまどいながら行人に投げつける「この先はないのよ(←ちょっと違うかも)」というセリフ。

お決まりの性愛を暗示させる殺人シーンと、ラストはマクベスもどきの手を洗うシーン。これでいいのか? ホントにいいのか? 近松を下敷きにしたのなら、近松を踏んづけるか、ひっくり返すかしないとマズイんじゃないのか?

登場人物のコトバはオチャメ。しぐさもオチャメ。でもって、オチャメの下にあるのは条理の間尺に合った安心世界。いいのか?

今回、近松の原作にない役柄として劇作家が創作したのが、行人の家業の工場従業員、栗尾という登場人物。メルヴィルの書記バートルビーを思わせるこのキャラだけは安心感がなくて安心した。ぜんぶ安心なお芝居なんてつまらんもん。

この前見たケラリーノ・サンドロヴィッチも、今回の倉持裕も、コトバの芝居だった。まずコトバがあって、身体とその動きはコトバを強化するためにある(だからしぐさがオチャメに見える)。きっとこういうのが今の主流なんだろう。

今日の役者さんでいちばん身体を感じさせてくれたのは、言い換えればいちばんブキミだったのは、行人の継父を演じた田口浩正と工場の従業員役の野間口徹(2人ともNHKの「サラリーマンNEO」に出てる)だった。根岸季衣は途中まで藤田弓子だとばかり思っていた。←これはマズイと思う。
森山未來はさすがの上手さで、鋼鉄のバネみたいな動きがとても魅力的だが、声フェチの私としては二重螺旋の声の持ち主・藤原竜也をとるアルよ。

寛治の指  国立劇場文楽「鬼一法眼三略巻」

気がついたらすっかり秋だ。

連休2日目の昨日は国立劇場へ。文楽9月公演・第一部「鬼一法眼三略巻」。
11時開演だったが、家出ぐずぐずしていて15分遅刻。播州書写山の段を途中から観て文楽廻しで席に着く。6列30番は三味線のすぐ下。鶴澤寛治をかぶりつき! 指と手のの美しいのに驚く。小ぶりで白くて艶やかで爪が小さい。人形を見ずに寛治の手ばかり見ていた。津駒太夫は熱演タイプで、涼しげな三味線といいコンビ。

播州書写山の段のあと25分休憩。はじめて二階食堂「十八番(おはこ)」で食事。文楽弁当。量が少ないから実質15分でも完食できる。味は・・・ご飯が温かいのがよかった。
休憩後は清盛館兵法の段、菊畑の段。書写山コンビとは逆に燕三の三味線がパワフル。半分くらい寝てしまった。

文楽とか歌舞伎を見に行って、途中でうつらうつらするのはいいものだ。普通の芝居で舞台がつまらないときは、眠たくなるどころかイライラして腹が立つ。お金払って何でこんな目に遭わなけりゃならないんだと誰かを呪いたくなる。

五條橋の段はパスして、伝統芸能館で歌舞伎音楽の展示を見て帰った。

にこり。

  • | 2009-06-29 | 

  • 身辺 | 

電車の中で、日本茶飲料のこんな広告を見た。

  にこり。

  それはまるて、
  急須ていれたような
  こたわったあし。
  ペットホトルのお茶に
  まんそくてきないあなたへ。
  本物のにこりを
  おととけします。

  本物には
  にごりがある。

毛筆のごつごつした書体。 苦み走った真田広之がグラスのお茶を手にニッコリしている。


子どもの頃、近所の路地に在日朝鮮人の家族が何世帯か住んでいたことは前に書いた。
年が近くて仲よくしているTちゃんという子がいて、Tちゃんの家はタクシー運転手のお父さん、バーで働くお母さん、お姉ちゃんの四人家族だった。お母さんは夕方になると和服を着て仕事に出かけた。気性の激しい人で、夫婦喧嘩の凄まじさと言ったらなかったが、その分愛情表現もストレートだった。私が遊びに行くと「○○ちゃん、たっこしたけよ」と言って、私を抱き上げて頬ずりするのだ。

Tちゃんの家で昼ご飯をご馳走になったことがある。お父さんもお母さんもいなかった。炊きたてのご飯だけがあって、Tちゃんはそれを茶碗によそうと、「お醤油をかける? それともソースにする?」と私に聞いた。あの頃は日本中が貧しくて、私の家の食卓もけっして豊かではなかったが、醤油だけ、ソースだけでご飯を食べたことはなかった。

1歳年上のTちゃんが先に小学校に入ると、行き来はぐんと減った。高学年になるころには、路地の入口で顔を合わせても、お互い気づかないふりして通り過ぎたりした。Tちゃんのお姉さんが中学でいじめられているという噂を聞いたのはその頃だった。お母さんがひどく怒って、学校だかいじめっ子の家だかに怒鳴り込んだという話もあった。学区内のその中学へ、私は進学しなかった。ある日、電車通学の帰りにTちゃんに出会った。Tちゃんはセーラー服ではなく、チマチョゴリの制服を着ていた。私たちはお互いに目をそらして別れた。

しばらくして、気がつくと、Tちゃん一家は路地からいなくなっていた。どこへ行ったのかは知らない。いつ頃だったのかも、はっきりとはわからない。

  それはまるて、
  急須ていれたような
  こたわったあし。

電車のドアの上の広告に、「○○ちゃん、たっこしたけよ」というTちゃんのお母さんの、酒で焼けたガラガラ声が重なる。お母さんの乾いた頬っぺたの感触、襟足の白粉のにおいがよみがえる。この広告をつくったひとは、「たっこ」されたことがないひとなんだろうな、と思う。最後の2行がとりわけ私を刺す。

「本物には/にごりがある。」

私が痛みを感じるのは私の個人的な体験・個人的な記憶に理由があるのであって、広告が悪いのではない。広告のコピーはただ無邪気なだけだ。石はいつも無邪気に地面に転がっている。そして、その無邪気さが私を蹴つまずかせる。

与兵衛と改心  6月歌舞伎座 昼の部

6月歌舞伎座 昼の部

6月5日・3階5列上手ブロック、女殺油地獄のみ。
6月10日・3階1列中央ブロック、草摺引と角力場のみ。
6月12日・1階5列中央ブロック、やっと全部観る。

 5日は仕事が押して昼の部最後の「女殺油地獄」にやっと間に合う。
仁左衛門の与兵衛は10年前に見ていて、あのときも一世一代という触れ込みだった。何しろ凄惨な男前だし、当たり役だけあって文句のつけようもなかったが、ただひとつ、河内屋の場で腹這いになってふてくされ、足の裏をぱたぱたさせるところが無理した若づくりに見えて気恥ずかしかった。いつまでも若く美しいのが孝夫だと思っていたが、これが最後の与兵衛になるのも仕方がないな、と思ったものだ。

 今回の与兵衛は10年前より若かった。花道を(といっても3階からは見えないが)肩で風きって登場する最初から、銭を懐によろけながら花道に消える最後まで、どこをどう切っても与兵衛だった。どうしようもないバカの、手のつけられない不良の、その場限りのお調子者の、継父の徳兵衛が「のらめ」と呼ぶとおりガツガツした野良犬みたいな、安っぽいあんちゃんの与兵衛だった。パーフェクト!
 殺しの場で、お吉の襟首をとって刀を振り上げる場面、見開いた与兵衛の目がくーーーっと寄る。その顔は写楽の大首絵そっくりだった。写楽って写実なのだとよくわかった。

 その与兵衛が、2度目に見た12日は違っていた。仁左衛門の演じる与兵衛が、別の与兵衛になっていた。どこが別かというと、殺し場の「死にともない筈」のセリフである。

「此方が娘が可愛いほど、おれもおれを可愛がる親仁がいとしい」
 
 このセリフを、5日の仁左衛門はその場限りの口から出まかせとして喋った。お吉は与兵衛に切られながらも、「今死んでは年端も行かぬ三人の子が(孝太郎は「幼い子が」と言った)流浪する、・・・助けてくだされ与兵衛様」と命乞いをするのだが、5日の与兵衛はそのときにはもう、お吉をなぶり殺しにする快楽に目ざめかかっていた。お吉の論理を逆手にとって「おれもおれを可愛がる親仁がいとしい」と心にもないことを言い返し、お吉の顔に浮かぶ絶望を楽しんでいた。与兵衛は豊嶋屋の外で継父と実母の愁嘆場を聞いていた。しかしそんなことには心を動かされなかった。親たちのやっていることは今までの延長線上にあることで、けっきょくお吉に自分の始末を押っつけたのだ。そんな親に心を動かされるわけはない。――そう、それでこそ与兵衛だ。花道の出から殺し場まで、そしてそのあとの引っ込みまで、首尾一貫した一人の与兵衛だ。義理と人情と世間の常識のまっただ中に放り込まれた、〈異物〉としての与兵衛だ。

 私たちが「女殺油地獄」という物語に惹きつけられるのは、与兵衛が〈異物〉だからである。〈異物〉として生きるしかない人間の孤独とかなしみが、与兵衛の中にくっきりと浮き出ているからである。殺し場で、断末魔のお吉の胸ぐらをつかまえてニヤーと笑うとき、殺す与兵衛は殺されるお吉より絶望している。お吉の絶望は死によって終結するが、与兵衛は絶望しつつ生きつづけなければならない。与兵衛は自分が絶望していると気づいていない絶望者だ。だから死ぬことも思いつかず、〈異物〉として生きつづけるしかない。

「おれもおれを可愛がる親仁がいとしい」

 しかし12日、2度目に見た「女殺し―」で、仁左衛門の与兵衛はこのセリフを、書かれてある言葉の意味のとおりに喋ったのである。

 このセリフを、書かれてあるとおりに喋るとどうなるか。与兵衛は立ち聞きした両親の愁嘆場に心を動かされ、何とか金をつくって親に難儀がかかるのを避けたい一心で、お吉殺しに走った・・・ということになる。つまり、与兵衛は改心したのである。そんなバカな!

 なぜそんなことが起きたのか。それはおそらく、徳兵衛とおさわの芝居が5日よりぐんとよくなったからだ。

 歌六の演じる継父徳兵衛は、5日の段階では、気の小さい、遠慮ばかりしている、そのくせウジウジと愚痴だけは言う、ようするに人をイライラさせる人間だった。よくできた常識人の太兵衛(与兵衛の兄)でさえ継父に説教したくなる位だから、気の短い与兵衛がカッとして手を振り上げるのも無理はない・・・5日の徳兵衛は、観客をそんな気にさせた。
 しかも秀太郎演じるおさわもくどいのだ。この人はセリフをいちいちジェスチャーで説明する。豊嶋屋で「いかなる悪業悪縁が胎内に宿って」のところで腹を撫でるしぐさのわざとらしさにはちょっとマイッタ。豊嶋屋の愁嘆場も、バカな親だが親心・・・とジンとする前に、この二人だから与兵衛がよけいイラつくんだよ、なんて思ってしまうのだ。

 だが12日の舞台では、二人のこのイラつく芝居がイラつかなくなっていた。とくに徳兵衛は感情がぐっと深まっていて、5日に(何言ってやんでぇ)と思った「あいつが顔付背格好、・・・・・・死なれた旦那に生き写し」のところもしみじみ聞かせた。徳兵衛の輪郭が見えてきたのだ。私の横のおばちゃんなんぞ、豊嶋屋の愁嘆場になるとタオルを出しておいおい泣いていた。5日は、私の周りでは泣く人なんか誰もいなかったのに!

 12日の仁左衛門が「親仁がいとしい」というセリフをその通りの意味で喋ったのは、徳兵衛とおさわの演技に、思わず反応してしまったからではないか。歌六と秀太郎の、とくに歌六の演技は、与兵衛の一貫性を一瞬忘れさせるほど、大きく変わっていたのではないか。

 しかし、「親仁がいとしい」と言葉通りに言ってしまったおかげで、その後の殺し場は困ったことになった。いとしい親仁のために殺人を犯すのであるから、与兵衛の殺す楽しみは中途半端になり、長々とつづく殺し場も、油ですべって殺しにくいのねだけのことに収まってしまった。お吉との絡みはわざとらしく(エビ反りでお吉が右手を与兵衛の頬に伸ばす、愛撫に似せたあのしぐさはどうなのだろう。与兵衛の頬に3本の血の跡を残すためなのだろうが、もう少し別の手つきがあるだろう。今のは性と死の関連を暗示しようという作為が見えて好きじゃない)、殺しの恍惚は失われ、当然ながら5日に見た「写楽のような」表情は見られなかった。芝居はナマものだ。一人が変わると、玉突きのようにいろんなことが変わる。

 それにしても今月は12日で見納めのつもりだったのに、そうは行かなくなった。仁左衛門はおそらく、12日の与兵衛を修正してくるだろう。それが見たい。周囲の演技の変化に呼応しつつ、仁左衛門が、はたちから演じつづけてきた与兵衛を、最後にどこへ着地させるのかが見たい。その着地点が一世一代となればよけいに。

・・・さて、チケットは手に入るんだろうか。
(6月14日記)

品川天王祭

  • | 2009-06-08 | 

  • 身辺 | 

昨日は実家の町のお祭りでした。
品川の天王祭です。目黒川沿いの荏原神社と、地元っ子が「北のお天王様」と呼ぶ品川神社のお祭りは、もともと同じ日にやっていたのですが、神社どうしのもめ事で去年まで17年間、ずうっと別々の日でした。今年やっと神社が仲直りして、昔通り同じ日にできるようになりました。よかったよかった。

うちは南品川なので、「南の天王様」、荏原神社の氏子です。今年は輪番で、うちの町内に神輿が勢揃いします。2車線の狭い商店街に荏原神社に属する町の神輿が11基、ずらりと並びました。土地を離れた人も、お祭りだけは帰ってくるので、通りは大賑わいです。

天王祭勢揃い

下の写真、右のカンカン帽のおじさんが着ている浴衣が役員の浴衣です。左側、同じ色の半纏を着ている人も町内の人。背中の字は「南馬」です。揉んで歩道に寄る神輿を押し戻しています。最近はよそから担ぎに来る人も多いので、世話役さんはたいへんです。

品川は古い町なので、町会ごとにいろいろと個性があります。町会の区分けも昔の区分けなのです。
南の神輿では、宮本が別格。宮本は京浜急行の線路は越えないとかで、今回の勢揃いには参加しません。
勢揃いした中で荒いのは「三岳(みたけ)」です。ここの町会は、昔は銭湯にいくと、くりからもんもんの男衆が入りに来ていました。女の人で彫り物をした人も見たことがある。三岳の神輿は今でも女の担ぎ手は入れません。

とはいうものの、私の幼馴染みの旦那衆は、「女の子が神輿を担いでくれた方が力が出るのよ」と本音をば。――ま、そうだろうねえ。

神輿を担ぐと、肩から首の後ろあたりが握りこぶし2つほど腫れて盛り上がる「担ぎだこ」ができる。翌日はワイシャツのボタンが留まらないので、サラリーマンは神輿が担げないのです。担ぎだこができないようでは半人前。

天王祭担ぎ

御神輿について笛を吹く娘さん。ひっつめ髪に腹掛けがよく似合ってます。吹いている途中、音の出にくくなった笛をしゃっと振ってつばを切るしぐさもイキだし、休憩時間に後ろ衿に笛を挿して談笑している姿なんかもきまってます。

笛を娘さんがやるようになったのは、20年ぐらい前からかな。昔は神輿を担ぐには若すぎる(体のできていない)少年たちが吹いておりました。あれもよかった。
でも今は、中学生〜高校生は勉強が忙しくてお囃子の稽古に出られない。少子化だし。

天王際笛

街路樹の向こうに見えるのは、品川駅前の超高層マンションです。ずいぶん遠いのに、すぐ近くみたい。
最近は埋立地の方にマンションが増え、新しい町会もできて、ちゃんと御神輿を誂えて、お祭りに参加するようになりました。子ども神輿と大人神輿の中間ぐらいのかわいい神輿で、担ぎ手には女の子が多い(神輿も軽くできているらしい)。昔からの住人と新しい住人が仲よく盛り上がります。

天王祭マンション

夕方からは北の天王様に惣町神輿(本神輿)の宮入を見に行きました。宮入が終わると、お祭りはおしまい。今年は屋台もいっぱい出て楽しかった。

ちーなぽいぽいぽい 辺見庸「水の透視画法」

今週は忙しくて夕刊を読む暇がなかった。今日になって6月3日付の夕刊を拡げたら、月1度の辺見庸の「水の透視画法」が掲載されていた。タイトル「ちーんちーんちなぽこ」。辺見庸が幼児期から憶えているというその歌の最初の部分を、私も唄えるのだった。

「ちーんちーんちなぽこ、まーるこちょっぴいしゃーれこぱいぽ、いまじゃにんじろぱいぽ、ちなぽーいぽーい」

私の憶えているのは少し違う。

「ちーんちーんちなぽこ、まーるこっちゃぴーしゃれぱいぽ、いーまじゃにんじんぱいぽ、ちーなぽいぽいぽい」

しかし、これは同じ歌だろう。

いつ憶えたのか。いつまで憶えていたのか。エッセイのタイトルを見るまでまったく思い出すこともなかったのに、メロディーはちゃんと出てくる。
唄っていたのは幼稚園のときで、小学校に入ってからは唄わなかったような気がする。「じゅげむじゅげむごこーのすりきれ」という落語の文句があって、その中の「ぱいぽぱいぽ、ぱいぽのしゅーりんがん(記憶なので落語とは違っているかもしれない)」と「ちーなぽいぽいぽい」が似ているのだ。「じゅげむ」を盛んに口にしていた頃(それが小学校低学年だった)、似ていると思った。似ていると思ったことを、今思い出した。

「その昔、ある地域の子どもたちにうたわれた口伝えの歌にすぎない」と辺見庸は書いている。ある地域とはどこか。私はこの歌を誰に教わったのか。辺見庸は宮城県石巻市出身で、高校まで石巻市にいたらしい。私は東京の下町生まれだ。石巻と東京の下町を、ある地域、と一括りにするには広すぎる。

もうひとつ、辺見庸との違いがある。辺見庸は子どもたちみなで唄って、転げ回って笑ったという。しかし私は家の外では唄わなかった。外で唄ってはならない歌だと、それとなく理解していた。

ということは、この歌を私に教えたのは私の家族なのだ。

この歌を私に教えたのは、同居していた母方の祖母である。幼い頃の私はおばあちゃん子で、夜は祖母と一緒に寝ていた。ラジオから広沢虎造の浪曲が聞こえていた。たぶん祖母は、幼児がよろこぶコトバあそび歌として、私にこの歌を教えたのだった。
寿限無のお経のようなこの歌のほかに、もっとわかりやすい日本語で朝鮮人差別をうたった歌(「ちょーせんじんはかーわいそ」で始まる)も、私は唄える。

私の家の近所に路地があって、その路地の長屋には在日の家族が数家族住んでいた。年の近い子が何人かいて、遊び友だちだった。私は、そんな歌を唄ったらあの子らが怒る、と思ったのだ。意味はわからなかったのに。お経のような歌だったのに。でも家の中では唄った。唄うことはおもしろかった。

ちなぽこの歌の話に続いて、辺見庸はナチ・ハンターによるナチ逃亡犯追跡にふれ、「にしても、戦争の記憶の濃度においては、被害側と加害側のべつを問わず、日本が病的にまで薄いのはなぜなのだろう」と書く。そして最後に、亡父の臨終にさいして「あなたは戦時中、中国でひとを殺したか?」と問えなかった、とつけ加える。

私の父は、戦争には行ったが戦闘はしなかった。南の島で虎狩りをしているうちに戦争が終わったそうで、しとめたボルネオ虎を前に兵隊さんが勢揃いして笑っている写真を見たことがある。辺見庸の父ぎみと違って、私の父はただ運がよかっただけである。殺したのは虎だったが、兵士として出征した以上、私の父も「あなたは何人ひとを殺したか?」という問いから自由であることはできない。

ひとがひとをあざける。見くだす。そのことを恥じるどころか、あざける言葉の見事さや見くだし方の洗練に誇らしげですらある――最近、某巨大SNSでそんな場面に出くわして、ひどく驚いたことがある。あざけり、見くだしたひとが、たいへん高い教育を受け、人を教える立場のひとであって、しかも文学者を名乗っていたからである。ちーんちーんちなぽこ。辺見庸が「湿気た海苔のようによれた影を引きずる日本語」と書くこの歌の作詞者たちも、おそらく、あざける言葉の見事さや見くだし方の洗練に、誇らしげだったに違いない。

ちーなぽいぽいぽい、と「私の記憶がうたっている」。

子どものちから(2)  矢車会 夜の部

5月27日歌舞伎座 矢車会 夜

夜の部の席は2階後方。矢車会では席の贅沢は言えない。
最初は箏曲で踊る祝いの舞踊「寿競べ」。浦島と竜宮の官女がからんで、浦島の長寿を祝う。これも素踊りで梅玉と魁春。女形が素踊りで女を踊るのを初めて見た。女形って、じつはたいへん男性的な存在なんだな、と思った。

次は松緑、染五郎、福助で「お祭り」。福助はきれいだが、しなを作りすぎて江戸の芸者に見えない。この踊りはけっこう長い。次は連獅子だ。弁慶で精魂尽き果てたと見えた富十郎は、連獅子を踊れるのだろうか。気がつくと、長い踊りをもっと長く、と念じている。連獅子の始まりが遅ければ、富十郎はそれだけ長く休める。体力も少しは回復できる・・・。

「お祭り」が終わり、30分の休憩。2階ロビーがやけにごった返している。SPがあちこちに立っている。昼の部では、勧進帳の幕が開く直前に森元総理夫妻がきた。夜も誰か政治家でもくるのだろう・・・と思いながら席に戻ると、開幕直前になって後ろがふいに慌ただしくなり、中央通路の近くの観客がいっせいに立って拍手を始めた。先導に案内されて最前列に向かう人の後ろ姿が観客越しにちらりと見えた。
「皇太子さまよ」
隣の人が立ち上がりながら小声で教えてくれた。驚きがさざ波のように伝わる。劇場に張りつめた空気が満ちる。1階席でも、異様な雰囲気に気づいた人たちが2階を見上げ始めた、立ち上がって拍手する人もいた。しかしそれはほんの短い間だった。貴人が着席するとすぐに照明が落ち、幕が開いた。

富十郎・鷹之資父子による「連獅子」。百獣の王であるところの親獅子は老王なのだ。すでに老い、子に教える時間が短いことを知っているので、子に対してよけい厳しくなるのだ。親獅子が子獅子を谷底に蹴落とす所作の荒々しさは、弱い子であればいっそ死ねと言わんばかりだった。子獅子は転げ落ちる。岩にぶつかり、木に肌を裂かれながら、ようやっと谷底にうずくまる。

しかしこの子獅子は数時間前、精魂尽きるまでに弁慶を演じきった父を、同じ舞台の上で、後ろ向きになって、全身を目にして見つめていた子獅子だった。「登り得ざるは臆せしか」のあと、子獅子が千尋の谷を駆け上がるとき、鷹之資は文字どおり「躍り上がった」。この父の子であるというはち切れんばかりの誇りが全身にみなぎっていた。
勘三郎と橋之助による間狂言を挟んで、後半。連獅子の最大の見せ場である毛振りを、鷹之資は一人で振った。これでもか、これでもかと、親獅子のすぐ前で、観客の方を向くのではなく横向きになって、父から見える角度で振った。親獅子は両手で左右の毛房をつかみ、右足を前に出したかたちで最後まで動かなかった。この連獅子では、動かないことが正しいのだ。動かないことが美しいのだ。そうでなければ物語は一貫性を持ち得ない。

興行ではなく、1回きりの矢車会だからできた連獅子だった。昼の部の勧進帳があったからこその連獅子だった。こんな連獅子はもう見られないだろう。

銀座駅へ向かって歩きながら、ふと思った。もしかすると富十郎は連獅子を演じ切るために皇太子の臨席を仰いだのではないか。それもずっと前から周到に準備して――。二人の子を学習院に入れ、女の子には愛子という同じ名を付け、学校の行事には積極的に協力する。そんなことも今日の準備の一環だったのではないか・・・。神の、目に見える、実在的な降臨。
もちろん実際は違うだろう。
しかし、そんな妄想が頭をよぎるほど、富十郎のこの舞台に賭ける気迫はすさまじかった。

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