ジュリー三昧・3
- | 2008-12-09 |
- | 読む・見る・聞く |
以下はジュリー祭り@大阪を週末に控えた11月24日に書いたまま、アップし忘れてほッぽらかしてあった文章。いやはや。
◆
NHKFMのジュリー三昧の中で、魚の骨のように引っかかっている言葉がある。20世紀最後の年である2000年に出したアルバム、『耒タルベキ素敵』についてジュリーが語った言葉。
・・・ずっとチャンスを待っていた。プライベートは順調だったけど。一度売れた人間はもう一度売れたいって思うんでしょうね。21世紀になれば何かが変わる。それで張り込んで2枚組のアルバムを作っちゃって・・・。
ジュリーは満を持して『耒タルベキ素敵』を世に問うたのだった。しかし「何も変わらなかった」。爆弾を投げても何も起きず、何も変わらない。ずっと昔、沢田研二は原子爆弾を作った。が、あのとき原子爆弾だと思ったものは、じつは紙つぶてにしか過ぎなかった。
紙つぶては世間という洗面器にさざ波ひとつも起こさない。しかし、紙つぶてを作った当の本人の心はしっかりと撃つ。残酷なほどに撃ち抜く。ジュリーの絶望を思うと胸が痛む。
『耒タルベキ素敵』は語るに値しないつまらないアルバムか? 冗談じゃない、これは傑作だ。あの頃東京で青春を送っていた世代なら涙なしで聞けない「A・C・B」(登り亭っ!竹中労!明治通りを北に歩けばゴールデン街もすぐ近く!!)、急カーブで曲がるスリリングさの「ねじれた祈り」、美しく透明感のある「ブルーバード、ブルーバード」や「遠い夜明け」、おおジュリーこんな歌唄えるのあんただけだよの「キューバな女」(ムーチョムーチョ)、しみじみ聞かせる「あなたでよかった」「孤高のピアニスト」・・・名曲佳曲が目白押し。
もっとも「ベンチャーサーフ」は今聞くとかなり恥ずかしいし、GRACEの詞はときどき言葉が雑だし、沢田研二の詞も(「凡庸がいいな」とか)日常とのっぺり地続きでちょっとね、という部分はある。でも、それを差し引いても、とっても素敵なアルバムじゃない?
けっきょく批評が問題なのだ。『耒タルベキ素敵』に対するちゃんとした、的確な批評があれば、ジュリーは絶望しないで済んだし、その後のアルバムだってあんな風には(たとえば「MENOPAUSE」――2005年のアルバム「greenboy」所収)――って、そんなこと言われても挨拶に困るべさ)ならなかったはずだ。
なんか今、表現ジャンルの多くで批評がダメになってる気がする(多くで、という但し書きはすべてを見たわけではないのでエクスキューズね。もしかしたら私の知らないジャンルですごくいい批評がガンガン出ているのかもしれないから)。
表現がダメだから批評が弱体化するのか、批評が弱体だから表現が育たないのか、ニワトリと卵ではあるのだけど、少なくとも新聞の文化欄に出ている文学や映画や音楽や舞踊や演劇の批評ときたら、ほとんどが感想の域を出ないお粗末なものだ。
歌謡曲やポップスのジャンルではどうなんだろう。音楽専門誌にはちゃんとした批評が載ってるのだろうか。それともビジネスとして巨大化しすぎて=音楽消費が激しすぎて、批評なんかやってるヒマがないのか。
これは記憶で書くのだけれど、山口百恵が引退するとき、朝日新聞だか東京新聞だかの(わが家ではその2紙しか取っていなかった)日曜版をまるまる1ページ使った紙面に、横尾忠則描くところの百恵菩薩の巨大なイラストと平岡正明の批評エッセイが載った。山口百恵の顔をした菩薩の絵がどーんとあって、その周りに文章が載っていた。
覚えている一節がある。「(百恵が選んだ)三浦友和はいいヤツだが」という言い回しである。この「いいヤツだが」に私は吹き出したのだった。平岡正明の、何とも言いようもない情けない気分がしみじみ滲んでいた。トンビに油揚げをさらわれたキツネがぽかんと空を見上げている、そんな情景が浮かんできて、笑わずにはいられなかった。
百恵が引退した1980年には、歌謡曲批評は日曜版とはいえ、新聞一面をまるまる使うだけの価値があったのだ。歌謡曲にさほど興味のない、歌番組も見ない一般人(私のことね)がそれを読んで吹き出すくらいの面白い読み物としてその記事は成立していた。
ちなみにジュリーはその前年(1979)と前々年(1978)にNHK紅白歌合戦で山口百恵と対戦しており、1978年には2人でトリを勤めている。
藤本義一がTVでジュリーと対談し、清水哲男が「花の三人娘」(淳子、百恵、昌子)のタレント本を書き(彼女らに捧げる詩まで入っている!)、富岡多恵子が「レーニングラードからロンドンまでのバルチック海の船の上で」「退屈しのぎに藤圭子の歌っている歌謡曲の英訳をしていた」(「詩よ歌よ、さようなら」)黄金の70年代は忘却の彼方だ。しかし歌謡曲はときどきは論じられていた。私は富岡多恵子の文章で食わず嫌いだった美空ひばりが好きになったし、谷川俊太郎や天沢退二郎が中島みゆきを熱中しつつ論じるのをじつに楽しく読んだし、ねじめ正一がNHKの教養番組テキストで椎名林檎やハイロウズを解析してくれたおかげで彼らの音楽を知ることができた。
2000年の沢田研二と『耒タルベキ素敵』も、そのように論じられてしかるべきだったのだ。
11月29日・12月3日の「ジュリー祭り」は、誰に・どのように論じられるのだろうか。それとも論じられないのか。別に論じられなくたっていい、とジュリーは思っているのか。ま、ジュリーマニアたちはそんなこととは無関係にジュリーを愛し続けるに違いないのだから、オマージュ以外の批評なんぞ要らないっちゃ要らないわけで・・・。
でもやっぱり誰かちゃんと論じてよ、という気持ちが(軽度なジュリーマニアである)私にはある。
批評というのはひらく行為だから。
NHKFMのジュリー三昧の中で、魚の骨のように引っかかっている言葉がある。20世紀最後の年である2000年に出したアルバム、『耒タルベキ素敵』についてジュリーが語った言葉。
・・・ずっとチャンスを待っていた。プライベートは順調だったけど。一度売れた人間はもう一度売れたいって思うんでしょうね。21世紀になれば何かが変わる。それで張り込んで2枚組のアルバムを作っちゃって・・・。
ジュリーは満を持して『耒タルベキ素敵』を世に問うたのだった。しかし「何も変わらなかった」。爆弾を投げても何も起きず、何も変わらない。ずっと昔、沢田研二は原子爆弾を作った。が、あのとき原子爆弾だと思ったものは、じつは紙つぶてにしか過ぎなかった。
紙つぶては世間という洗面器にさざ波ひとつも起こさない。しかし、紙つぶてを作った当の本人の心はしっかりと撃つ。残酷なほどに撃ち抜く。ジュリーの絶望を思うと胸が痛む。
『耒タルベキ素敵』は語るに値しないつまらないアルバムか? 冗談じゃない、これは傑作だ。あの頃東京で青春を送っていた世代なら涙なしで聞けない「A・C・B」(登り亭っ!竹中労!明治通りを北に歩けばゴールデン街もすぐ近く!!)、急カーブで曲がるスリリングさの「ねじれた祈り」、美しく透明感のある「ブルーバード、ブルーバード」や「遠い夜明け」、おおジュリーこんな歌唄えるのあんただけだよの「キューバな女」(ムーチョムーチョ)、しみじみ聞かせる「あなたでよかった」「孤高のピアニスト」・・・名曲佳曲が目白押し。
もっとも「ベンチャーサーフ」は今聞くとかなり恥ずかしいし、GRACEの詞はときどき言葉が雑だし、沢田研二の詞も(「凡庸がいいな」とか)日常とのっぺり地続きでちょっとね、という部分はある。でも、それを差し引いても、とっても素敵なアルバムじゃない?
けっきょく批評が問題なのだ。『耒タルベキ素敵』に対するちゃんとした、的確な批評があれば、ジュリーは絶望しないで済んだし、その後のアルバムだってあんな風には(たとえば「MENOPAUSE」――2005年のアルバム「greenboy」所収)――って、そんなこと言われても挨拶に困るべさ)ならなかったはずだ。
なんか今、表現ジャンルの多くで批評がダメになってる気がする(多くで、という但し書きはすべてを見たわけではないのでエクスキューズね。もしかしたら私の知らないジャンルですごくいい批評がガンガン出ているのかもしれないから)。
表現がダメだから批評が弱体化するのか、批評が弱体だから表現が育たないのか、ニワトリと卵ではあるのだけど、少なくとも新聞の文化欄に出ている文学や映画や音楽や舞踊や演劇の批評ときたら、ほとんどが感想の域を出ないお粗末なものだ。
歌謡曲やポップスのジャンルではどうなんだろう。音楽専門誌にはちゃんとした批評が載ってるのだろうか。それともビジネスとして巨大化しすぎて=音楽消費が激しすぎて、批評なんかやってるヒマがないのか。
これは記憶で書くのだけれど、山口百恵が引退するとき、朝日新聞だか東京新聞だかの(わが家ではその2紙しか取っていなかった)日曜版をまるまる1ページ使った紙面に、横尾忠則描くところの百恵菩薩の巨大なイラストと平岡正明の批評エッセイが載った。山口百恵の顔をした菩薩の絵がどーんとあって、その周りに文章が載っていた。
覚えている一節がある。「(百恵が選んだ)三浦友和はいいヤツだが」という言い回しである。この「いいヤツだが」に私は吹き出したのだった。平岡正明の、何とも言いようもない情けない気分がしみじみ滲んでいた。トンビに油揚げをさらわれたキツネがぽかんと空を見上げている、そんな情景が浮かんできて、笑わずにはいられなかった。
百恵が引退した1980年には、歌謡曲批評は日曜版とはいえ、新聞一面をまるまる使うだけの価値があったのだ。歌謡曲にさほど興味のない、歌番組も見ない一般人(私のことね)がそれを読んで吹き出すくらいの面白い読み物としてその記事は成立していた。
ちなみにジュリーはその前年(1979)と前々年(1978)にNHK紅白歌合戦で山口百恵と対戦しており、1978年には2人でトリを勤めている。
藤本義一がTVでジュリーと対談し、清水哲男が「花の三人娘」(淳子、百恵、昌子)のタレント本を書き(彼女らに捧げる詩まで入っている!)、富岡多恵子が「レーニングラードからロンドンまでのバルチック海の船の上で」「退屈しのぎに藤圭子の歌っている歌謡曲の英訳をしていた」(「詩よ歌よ、さようなら」)黄金の70年代は忘却の彼方だ。しかし歌謡曲はときどきは論じられていた。私は富岡多恵子の文章で食わず嫌いだった美空ひばりが好きになったし、谷川俊太郎や天沢退二郎が中島みゆきを熱中しつつ論じるのをじつに楽しく読んだし、ねじめ正一がNHKの教養番組テキストで椎名林檎やハイロウズを解析してくれたおかげで彼らの音楽を知ることができた。
2000年の沢田研二と『耒タルベキ素敵』も、そのように論じられてしかるべきだったのだ。
11月29日・12月3日の「ジュリー祭り」は、誰に・どのように論じられるのだろうか。それとも論じられないのか。別に論じられなくたっていい、とジュリーは思っているのか。ま、ジュリーマニアたちはそんなこととは無関係にジュリーを愛し続けるに違いないのだから、オマージュ以外の批評なんぞ要らないっちゃ要らないわけで・・・。
でもやっぱり誰かちゃんと論じてよ、という気持ちが(軽度なジュリーマニアである)私にはある。
批評というのはひらく行為だから。
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